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曽祖父直平の娘?佐名が井伊家に屈託抱いた理由とは? [おんな城主 直虎]

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静岡県浜松市を舞台に放送スタートした2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」。

その「おんな城主 直虎」で、序盤のキーパーソンとなりそうなのが、徳川家康の正室となる「瀬名」の母「佐名」ではないでしょうか。大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、元宝塚の女優・花總まりさんがキャスティングされています。

佐名の娘・瀬名(築山殿)は、今川家一門・関口親永の娘だといわれてきました。
瀬名(築山殿)は今川義元の養女として徳川家康の正室となります。と、ここまでは、歴史ファンならご存知でしょう。ところがビックリなのは、「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎の井伊家系図に、瀬名(築山殿)の母・佐名が、井伊直平の娘とされていることなのです。

井伊直平は、「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎の曽祖父にあたる人物。かりに、佐名が井伊直平の娘とすれば、「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎と瀬名(築山殿)は親戚同士になるのです。「おんな城主 直虎」では、今川義元の居城・駿府で幼い直虎と瀬名が顔を合わせるシーンがありました。

「おんな城主 直虎」では、主人公・井伊直虎と血縁関係にあたるはずの佐名とその娘・瀬名。しかし母である佐名は、井伊家の一人娘・直虎を歓迎していない雰囲気…。いったい、佐名と井伊家の間にはなにが?






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佐名の娘・瀬名は徳川家康の正室に



大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、瀬名(築山殿)の母として登場する佐名。

のちに徳川家康の正室となる瀬名(築山殿)は、よく知られた存在ながら、その母となると、ご存じない方も多いのかもしれません。

佐名の娘・瀬名(築山殿)は、今川家一門・関口親永の娘。佐名の娘・瀬名(築山殿)は、今川義元の養女として、徳川家康に嫁ぐのです。当時の徳川家康(松平元康)は、三河の豪族松平家から今川家に人質になっていました。

今川義元は、徳川家康(松平元康)を今川の傘下におくため、佐名の娘・瀬名(築山殿)を政略結婚で嫁がせたのではないでしょうか。

直虎の曽祖父・直平の娘が、今川家への人質に?



徳川家康の正室として知られる瀬名(築山殿)の母とは、どのような女性だったのでしょうか。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎の井伊家系図には、瀬名(築山殿)の母にかんする記述があるといいます。それもそのはず。瀬名(築山殿)の母・佐名が、井伊直平の娘だというのです。

井伊直平といえば、「おんな城主 直虎」の主人公井伊直虎の曽祖父。「おんな城主 直虎」では、前田吟さんが井伊直平を演じています。

井伊直平の娘であった瀬名(築山殿)の母・佐名は、なぜ、井伊家から今川家に入ったのか。

井伊直平の娘・佐名は、今川家に人質に出されたようです。
そして、今川家一門・関口親永の妻になったといわれています。関口親永と井伊直平の娘・佐名の間に生まれたのが、瀬名(築山殿)ということのようです。

今川家に人質に出され、井伊家に屈託抱く?



佐名の娘・瀬名(築山殿)は、のちに今川義元の養女として徳川家康に嫁いでいます。

それでも、「おんな城主 直虎」に登場する瀬名(築山殿)の母・佐名は、どことなく薄幸そうなイメージ。そして、井伊家から人質としてやってきた直虎(おとわ)を、あまり歓迎しません。

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の設定でも、佐名は、実家の井伊家に屈託を抱いていることになっています。佐名が、正式な婚姻として、今川家に入ったのならまだしも、あくまで井伊家からの人質でした。

そして佐名は、今川家で「お手つき」になってしまいます。つまり、愛人になってしまったのでしょう。今川義元は、お手つきにした佐名を、一門の関口親永に払い下げしたのかもしれません。

そうしたモノのような扱いを受ければ、佐名も、実家の井伊家に屈託を抱いて不思議はありません。

娘・瀬名は桶狭間で養父義元を失う



薄幸なイメージの佐名。

佐名の娘・瀬名(築山殿)も、幸せな生涯を送ったとはいえません。瀬名(築山殿)の養父・今川義元は、桶狭間の戦いで討ち死にしてしまうのです。今川義元は大軍を率いて上洛の途中、尾張・桶狭間で、3000人の織田信長に敗れてしまったのです。

ちなみに、桶狭間では、大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公井伊直虎の父・直盛も戦死しています。

今川義元が桶狭間の戦いで討ち死後、今川家はしだいに勢力が衰えていきます。

一方、三河からは、今川家の傘下を脱した徳川家康が、遠江、駿河に勢力を伸ばしていきます。もはや今川家と縁を切った家康にとって、今川家出身の瀬名(築山殿)は邪魔な存在になっていたのかもしれません。

武田家への内通を疑われ自害させられた瀬名



養父・今川義元亡き後、瀬名(築山殿)は、徳川家で冷遇されます。

とくに家康の母は、瀬名(築山殿)につらくあたったようです。瀬名(築山殿)は、徳川家康の居城・岡崎城に入ることもできず、岡崎城の外で生活したといいます。

そして、瀬名(築山殿)は、長男信康とともに、武田家に内通していると讒言されてしまいます。

瀬名(築山殿)と長男信康が、武田家に内通していると讒言したのは、織田家から信康に嫁いだ徳姫でした。この讒言によって、織田信長は徳川家康に、瀬名(築山殿)と信康を自害させるよう命じるのです。

佐名、瀬名が井伊家と徳川家をつなぐ?



大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場する瀬名(築山殿)の母・佐名は、瀬名の最期を見届けたのか。

徳川家康の正室となった瀬名(築山殿)と違って、瀬名の母・佐名については、詳しい生没年、素性はよくわかっていません。本当に、佐名が井伊直平の娘であったのかどうかも、はっきりしません。

ただ、「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎の婚約者・井伊直親は、徳川家康への内通を疑われ、殺害されています。また、井伊直親の遺児である直政も、徳川家康に仕え、スピード出世しています。

のちに井伊氏が徳川家重臣となったことも、佐名と瀬名が徳川家との血縁を結んだと考えれば、合点がいくのですが…。

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